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2014年10月12日日曜日

おばあちゃん

一昨日、10月10日はおばあちゃんの命日。
そして誕生日でもありました。

私が産まれた時にはおばあちゃんひとりだけだったので
わたしの唯一のおばあちゃんです。


スーパーミラクルおばあちゃん。


といっても過言じゃないほど、すごい人。

人柄もユニークで、ひとつひとつの印象的な発言が
いまでも鮮明に蘇ります。

カブにのっていて
いつも目をつむって運転していると言っていました。

(たまに見かけることもあったのですが、本当に目をつむっているように
みえてとても怖いです。)

ゲームセンターが好きで、よくUFOキャッチャーや
お菓子を救うゲーム機で何かをとっては
持って帰って来てくれたり___

ミスタードーナツも好きでよくポイントを集めては
食器やきんちゃく袋などもらっていました。


そんなおばあちゃんの日常も一緒にいるだけで
楽しいのですが、すごいと言ったのは、
亡くなった時のことです。

88歳の誕生日。
ガンで、もう余命数ヶ月と宣告をされていましたが
前日も気は確かで、きちんとお手洗いにも行けるし
ご飯も食べられる状態でした。

誕生日はせっかくだからみんなでお祝いをしよう
と親戚一同集まり、病院のふれあいルームを借りて
誕生日会の飾りつけをし、おばあちゃんが大好きなスイカを
用意してスタンバイ。

看護士さんもみんな、寄せ書きをしてくれて__

そろそろ始まるというときに
おばあちゃんの様態が急変。

それでも皆に会いにいくということでベッドで横になりながら
皆の待つふれあいルームに。

記念にみんなで写真を一枚撮りました。
おばあちゃんの一生を表すような一枚になりました。

そしてそのあと、スイカを入刀することは出来ませんでしたが

ひとりずつ、おばあちゃんと話す時間をつくったのです。


おばあちゃんはひとりずつにお年玉を用意していました。

私もこれがおばあちゃんと最期の会話なんだと
自然と気づいていました。

「いままでありがとうね。」

しっかりと最期のあいさつが出来たのです。

私だけじゃなく、親族みんな
ひとりずつ。


おばあちゃんはこのあとすぐ、昏睡状態となりました。

一度みていられず帰った私のお父さん。
脈が落ちてきたのを聞き引き戻すことに。

そしてまた、
父が戻るまでおばあちゃんはしっかり待っていました。

私がお手洗いに行っている数分のときに__
23時30ごろに息をひきとりました。


それが88歳の誕生日。

なんて人なんだろう、と
さいごの最期まで、、自分の意志で生きていました。

病気を伴いながらもこんなにも
たくましく生きるおばあちゃんに、私はもう感無量でした。


おばあちゃんはとっても幸せにこの世を去りました。
すごく、すごく幸せだったに違いありません。



長文読んでくださりありがとうございます。


どうかスーパーミラクルおばあちゃんが
いまも安らかにいられますように。

いつも見守っていてくれて、
ありがとう。私は、元気に生きているよ!



フリーランスウェディングプランナー
リアンマリアージュ
Lian Mariage